幻獣の名を冠する恐竜シリーズ16 アダサウルス(2)_元ネタ
- 2015/10/05
- 23:16
アダサウルス( Adasaurus mongoliensis )の名前は、モンゴルの神話に登場する悪霊アダに因みます。種小名はモンゴルで発見された事によります。アダについて簡単に解説してみたいと思います。
モンゴルのシャーマニズムにおける死者観として、事故死などの非業の死を遂げた人の魂は死者の世界(エルリグといいます。エルリコサウルスの名前の元ネタ、エルリクから来ている様です)に行く事ができず現世を彷徨うとされます。そして生者に対して、そそのかして魂を抜いたり、その体に入り込んだりするそうです。この様にアダが生者に仇名す事を「アダラホ」と呼びます。その最終目的は、標的とした生者を死に至らしめる事だそうです。なぜかというと、例えば事故死や自殺の様な死に様を迎えた人の魂は、他にもう一人犠牲にしなければエルリグに入る事が出来ないとされる為です。他者を犠牲にする事によりアダは死者の世界に到達する事ができ、転生する事ができるのだそうです。
この為、事故で人死にが出た場所では事故が起こりやすくなり、自殺者が出た場所では、そこで自殺をする人が多くなったりすると考えられている様です。そうしたアダによる障りを防ぐため、例えば首吊り自殺があった樹などは切り倒してしまうそうです。こうしたアダは、ブォと呼ばれるシャーマンや、法力のあるラマ僧によって払われてエルリグに到達するそうです。
この様な悪霊観は、日本の「非業の死を遂げた死者の霊が仲間を呼ぼうとして、更なる犠牲者を出す」という悪霊観に良く似ていますね。良く知られる場所としては”富士の樹海”でしょうか。
一口に悪霊といっても、人間の魂が成るものだけではない様です。
『狐やイタチなどのいわゆる動物霊』や、『捨てられたホウキや靴などが、野外の日の当たらない場所に100日放置される事で悪霊化するもの(日本でいう付喪神みたいなものか)』、『野外に放置された人や獣の骨に血がかかる事で悪霊化するもの』など、種々あるそうです。
こうして見てみると、世界各地で、非業の死を遂げた人の魂が悪霊になるという共通の概念があるのが面白いですね。多くの高等宗教では死者の魂が現世に居残る事を認めていないことから、死者の魂が生者に祟るという考え方はかなり古くからあるものだと思われます。そうした通念が現在も見られるというのは、やはり人間は脳が発達した事で他者の無念に同情したり、自分が傷付けた相手の心情を慮る事ができる為、感情的に「死者が祟るのでは」という恐れを持ってしまうのではないかと個人的には考えています。
魔術結社などでも、オカルティックなことに触れた後は、明るい曲を聴いたり、太陽の下で体を動かすと良いとか教えているようですが、それも、オカルトとは結局は人の心の持ちようである事の証明な気がします。
私は霊などの目に見えないものを信じていないのですが(いたら怖いし)、逆にいないと思っているからこそ、そういったモノに憧れてしまうんじゃないかと思います。恐竜もしかりで、実物を見る事ができないから好きなんでしょうね。

アダサウルスのイメージをもう一枚。悪霊たちを引き連れてニンゲンに仇名す邪竜といった感じで描きました。
死者の魂をエルリクの元へ引きずって行くという、エルリクの下僕アルダチ、ウスメクチなどの悪魔のイメージですね。
参考文献:「世界神話辞典 世界の神々の誕生」大林太良、伊藤清司、吉田敦彦、松村一男 編/角川ソフィア文庫、
「内モンゴル・ホルチン地方の霊魂観と悪霊について」慶応義塾大学訪問研究員サランゴワ氏
神奈川大学を中心に活動している比較民族研究会の会報誌での発表を参考とさせていただきました
モンゴルのシャーマニズムにおける死者観として、事故死などの非業の死を遂げた人の魂は死者の世界(エルリグといいます。エルリコサウルスの名前の元ネタ、エルリクから来ている様です)に行く事ができず現世を彷徨うとされます。そして生者に対して、そそのかして魂を抜いたり、その体に入り込んだりするそうです。この様にアダが生者に仇名す事を「アダラホ」と呼びます。その最終目的は、標的とした生者を死に至らしめる事だそうです。なぜかというと、例えば事故死や自殺の様な死に様を迎えた人の魂は、他にもう一人犠牲にしなければエルリグに入る事が出来ないとされる為です。他者を犠牲にする事によりアダは死者の世界に到達する事ができ、転生する事ができるのだそうです。
この為、事故で人死にが出た場所では事故が起こりやすくなり、自殺者が出た場所では、そこで自殺をする人が多くなったりすると考えられている様です。そうしたアダによる障りを防ぐため、例えば首吊り自殺があった樹などは切り倒してしまうそうです。こうしたアダは、ブォと呼ばれるシャーマンや、法力のあるラマ僧によって払われてエルリグに到達するそうです。
この様な悪霊観は、日本の「非業の死を遂げた死者の霊が仲間を呼ぼうとして、更なる犠牲者を出す」という悪霊観に良く似ていますね。良く知られる場所としては”富士の樹海”でしょうか。
一口に悪霊といっても、人間の魂が成るものだけではない様です。
『狐やイタチなどのいわゆる動物霊』や、『捨てられたホウキや靴などが、野外の日の当たらない場所に100日放置される事で悪霊化するもの(日本でいう付喪神みたいなものか)』、『野外に放置された人や獣の骨に血がかかる事で悪霊化するもの』など、種々あるそうです。
こうして見てみると、世界各地で、非業の死を遂げた人の魂が悪霊になるという共通の概念があるのが面白いですね。多くの高等宗教では死者の魂が現世に居残る事を認めていないことから、死者の魂が生者に祟るという考え方はかなり古くからあるものだと思われます。そうした通念が現在も見られるというのは、やはり人間は脳が発達した事で他者の無念に同情したり、自分が傷付けた相手の心情を慮る事ができる為、感情的に「死者が祟るのでは」という恐れを持ってしまうのではないかと個人的には考えています。
魔術結社などでも、オカルティックなことに触れた後は、明るい曲を聴いたり、太陽の下で体を動かすと良いとか教えているようですが、それも、オカルトとは結局は人の心の持ちようである事の証明な気がします。
私は霊などの目に見えないものを信じていないのですが(いたら怖いし)、逆にいないと思っているからこそ、そういったモノに憧れてしまうんじゃないかと思います。恐竜もしかりで、実物を見る事ができないから好きなんでしょうね。

アダサウルスのイメージをもう一枚。悪霊たちを引き連れてニンゲンに仇名す邪竜といった感じで描きました。
死者の魂をエルリクの元へ引きずって行くという、エルリクの下僕アルダチ、ウスメクチなどの悪魔のイメージですね。
参考文献:「世界神話辞典 世界の神々の誕生」大林太良、伊藤清司、吉田敦彦、松村一男 編/角川ソフィア文庫、
「内モンゴル・ホルチン地方の霊魂観と悪霊について」慶応義塾大学訪問研究員サランゴワ氏
神奈川大学を中心に活動している比較民族研究会の会報誌での発表を参考とさせていただきました
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