アロサウルス上科について(8)_カルカロドントサウルス科_アクロカントサウルス
- 2016/09/17
- 02:33

・発見史
アクロカントサウルス・アトケンシス(Acrocanthosaurus atokaensis )は、1940年代初期にホロタイプOMNH10146と副模式標本OMNH10147がオクラホマ州アトカ郡にあるアントラーズ累層で発見され、1950年にオクラホマ大学のジョン・ウィリス・ストーヴァルズ博士と、当時学生であったワン・ラングストンJr博士によって記載された獣脚類の恐竜です。全長12.5mにも達した最大級の獣脚類の1つです。

12.5mにも達する巨大な体躯、重量感も凄いですね。
しかしティラノサウルスに比べると足も短く、体の幅が狭くて、パワーでは若干劣るでしょうか。
1947年のワン・ラングストンJr博士の修士論文でアクロカントゥス・アトケンシス(Acracanthus atokaensis )とされましが、1950年に正式にアクロカントサウルスと命名されました。その名は、『アトカ郡の高い棘のトカゲ』という意味です。ホロタイプには頭骨の一部(涙骨など)、頸椎、胴椎、尾椎、恥骨等が含まれていますが、特に長い神経棘も含まれていますので、他種との区別は容易だったのでしょう。
より保存率の高い標本が1990年代に入って発見されています。テキサス州のツインマウンテンズ累層から発見されたSMU 74646、現在発見されている標本で最も完全なNCSM14345等があります。NCSM14345はオクラホマ州アントラーズ累層から発見された標本で完全な頭骨、前脚を含む、最大の標本です。ノースカロライナ自然科学博物館に収蔵されていますが、剖出はブラックヒルズ地質学研究所が行ったそうで、日本でも福井県立恐竜博物館がキャストを所蔵していますね。この標本には”フラン”という愛称があるそうです。さらにワイオミング州のクローヴァリー累層からは椎骨や大腿骨、恥骨等が発見されており、UM20796とナンバリングされています。近くからは竜脚類サウロポセイドンの肩甲骨が見つかっているらしいので、餌にしていたのでしょうか。

福井県立恐竜博物館で展示されているアクロカントサウルスの頭骨。1.3mにもなり、相当に攻撃力がありそうです。
・分類
本種が発見された当時、大型の獣脚類はいずれも断片的な標本でしか知られていなかった為、本種の持つ伸長した神経棘は新種として分類するのに極めて有用でした。ストーヴァルズ博士とラングストンJr博士は最初、本種をアロサウルス科に分類しました。1956年にアルフレッド・シャーウッド・ローマ―博士によりメガロサウルス科に編入されたりしていましたが、1990年代に新標本が見つかるまで、神経棘が長い事からスピノサウルスに近縁な恐竜であるとされる事が多かったそうです。
2000年のフィリップ・カリー博士とケネス・カーペンター博士による論文によると、頭部の形質からアロサウルスと最も近縁であり、アロサウルス科に含めるのが妥当との結果になったそうです。本種には鼻孔の上から涙骨にかけて2列のうねが走っており、これはアロサウルス上科に共通する特徴の1つであるそうです。しかし、頸椎、胴椎の側面に顕著な窪みが発達しており、尾椎にも弱いながら同様の窪みがある点でアロサウルス科よりもカルカロドントサウルス科に近いとされます。ポール・セレノ博士、ステファン・ブルサッテ博士、マイケル・ベンソン博士、フェルナンド・ノバス博士ら、沢山の研究者によりアクロカントサウルスはカルカロドントサウルス科に含めるのが妥当とされます。
しかし、アクロカントサウルスは【歯には表面にシワがなく、カルカロドントサウルス科の他のメンバーとは異なる】、【涙骨と後眼窩骨が癒合したコブがない】、【鼻骨や上顎骨に粗面が見られない】といった様に、カルカロドントサウルス科に典型的に見られる特徴がないので、科中での立ち位置には諸説ありコンセンサスが得られている様な状態ではない様です。
2005年にOMNH10146をCTスキャンにかけ脳のエンドキャストが作成され、その他のアロサウルス上科のメンバーと比較する研究が行われたそうですが、カルカロドントサウルス科へ含めるのを支持するとの結果となった様です。
・生態
アクロカントサウルスと言いますと、テキサス州のパルクシ―川の足跡がつとに有名です。一説には竜脚類のプレウロコエルスをアクロカントサウルスが追跡した痕跡と考えられます。まぁ、足跡からその持ち主を特定するのは困難ですが、時代、場所、それとアクロカントサウルスの足のサイズとの比較から、恐らくアクロカントサウルスの足跡であろうという事になっています。
これらの足跡を詳細に調査したのがアメリカ自然史博物館のローランド・バード氏ですが、氏の死後、彼に関する本が出版される際、文章のチェックを依頼されたのがジェームズ・ファーロー博士でした。すると、バード氏の原稿にはそれまで知られていなかった図や写真が大量に含まれている事が判明しました。それらをファーロー博士が再評価した結果、興味深い事実が判明しました。
まず、足跡が別々の日に付けられたものではないという事。竜脚類の足跡と獣脚類の足跡は並行して付いていますが、竜脚類の足跡がぶれると獣脚類の足跡もぶれており、また竜脚類がカーブすると獣脚類もカーブしていました。つまり、獲物の動きを捕食者の方が追従しているという事です。よって、別々の日に付いた足跡ではなく、ハントの瞬間が残っていたと見るべき、という事だそうです。
また、足跡の中には、右側の足跡が連続する箇所が1か所あります。これについては、大型哺乳類の狩りを研究する事で仮説が提示されました。現生のライオンやチーター等が狩りをする時、まず獲物に追いつく為に全力でダッシュし、その後、獲物と歩調を合わせるそうです。襲い掛かる時はタイミングを計る為、スキップの様な状態になる事もあると言います。この事から、右側の足跡が連続した痕跡をファーロー博士はアクロカントサウルスが襲い掛かるタイミングを計った形跡ではないかと推測しました。
アクロカントサウルスと同時期に生息していた恐竜には、獣脚類デイノニクス、竜脚類サウロポセイドン、アストロドン、鳥脚類テノントサウルス等があります。上記の足跡の件でも示唆される様に、竜脚類を獲物としていたのは間違いないと思われますが、他にもデイノニクスが仕留めたテノントサウルス等の鳥脚類を横取りする事もあったと思われます。
参考文献:「世界最大の恐竜展2002」図録、「別冊日経サイエンス 地球を支配した恐竜と巨大生物たち」日経サイエンス編集部 編 日経サイエンス社、Wikipedia「Acrocanthosaurus 」
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