ギガントスピノサウルス
- 2015/01/04
- 03:02
新年明けましておめでとうございます。
年明け一発目、行ってみよー。

ギガントスピノサウルス・シチュアネンシス(Gigantspinosaurus sichuanensis)は中国四川省自貢市の仲権郷という場所で1985年に発見され、1986年に報告されましたが、当初はトゥオジアンゴサウルスの標本と誤認されていました。後の1992年に、自貢恐竜博物館の欧陽輝研究員により短報が出され、この際に肩部の棘(肩甲骨側部とげ_parascapular spine)が非常に大きかった事から、ラテン語のギガス=巨大な+スピーナ=トゲを組み合わせた名前が付けられました。種小名は四川省に因んでいます。
ギガントスピノサウルスの標本は正式に認められる前から日本でも展示された事があります。2005年にパシフィコ横浜で開催された「ジュラ紀大恐竜展」がそれです。この時点ではギガントスピノサウルスの記載論文は書かれておらず、ギガントスピノサウルスという名前は裸名(nomen nudum 正式な記載がなされる前の仮の名前で、学名としては認められない)でした。初めて聞いた時にはスゲェでかいスピノサウルスの仲間なのかと勘違いしたもので、色々なサイトでもスピノサウルスと勘違いする、とか紛らわしい等の書き込みが見られたものです。

「ジュラ紀大恐竜展」で展示されたギガントスピノサウルスの復元骨格。
2006年にアメリカのイラストレーターでアマチュアの古生物研究者であるトレーシー・フォード氏によって肩のトゲの付き方が上下逆であるという短報が出され、同年にはロンドン自然史博物館のスザンナ・メイドメント博士と中国科学古脊推動物古人類研究所の魏光飚博士による中国の剣竜類のレビューで独自性のある属である事が示されました。実際のところ、2005年に追加標本が発見された折に自貢恐竜博物館の彭光照研究員によって再記載がなされていたそうです。彭光照研究員によれば、ギガントスピノサウルスはステゴサウルス科ではなく、フアヤンゴサウルス科ではないかとのことです。
※2018年にギガントスピノサウルスの再記載が行われたそうです。それによると、ギガントスピノサウルスはフアヤンゴサウルスよりも派生的であり、基盤的なステゴサウルス科という結果になったそうです。
グレゴリー・ポール博士によると、ギガントスピノサウルスは全長約4.2m、体重はおよそ700kgと見積もられており、中型の剣竜類と言えます。またポール博士の骨格図では、復元骨格の腰にあるトゲが尻尾の方に付いており3対6本のトゲを尾部に持っていますが、剣板が全て生前の位置にあったのかどうかは分かりません。トゲが復元骨格の通りであれば、背中に15対の剣板を持っていました。ステゴサウルスやトゥオジアンゴサウルスに比べて小さくあまり体温調節には向かない様に見えます。また、左肩のトゲの基部に20cm四方のウロコの痕が残っている、鎧竜の様な装甲板が4つ発見されている等、外観に関する情報が残っていました。恐らく、羽毛の様な繊維構造は持っておらず、ウロコと皮骨による装甲で覆われていたと推測されます。頭骨は小さく(とは言え、下顎しか見つかっていませんが)、歯は木の葉型をしており、歯の縁には5個の小歯(ギザギザ)がありました。角竜やカモノハシ竜の様に歯が発達しておらず、食べた植物を咀嚼して、すり潰す事は出来なかったと考えられる為、シダ類などの柔らかい葉っぱを食べてはほとんど噛まずに飲み込み、タルの様な胴体に収められた長い腸で発酵させて消化していたと考えられます。主な天敵はアロサウルス類のヤンチュアノサウルスだったと思われます。

2008年の「恐竜大陸」で展示された骨格。2005年のと同じです。ステゴサウルスに比べて非常に胴体が広い様子が分かります。
参考文献:「ジュラ紀大恐竜展」図録、「恐竜大陸」図録、
「THE PRINCETON FIELD GUIDE TO DINOSAURS」Gregory S. Paul Princeton University Press
参考サイト:Wikipedia「Gigantspinosaurus」英語版
年明け一発目、行ってみよー。

ギガントスピノサウルス・シチュアネンシス(Gigantspinosaurus sichuanensis)は中国四川省自貢市の仲権郷という場所で1985年に発見され、1986年に報告されましたが、当初はトゥオジアンゴサウルスの標本と誤認されていました。後の1992年に、自貢恐竜博物館の欧陽輝研究員により短報が出され、この際に肩部の棘(肩甲骨側部とげ_parascapular spine)が非常に大きかった事から、ラテン語のギガス=巨大な+スピーナ=トゲを組み合わせた名前が付けられました。種小名は四川省に因んでいます。
ギガントスピノサウルスの標本は正式に認められる前から日本でも展示された事があります。2005年にパシフィコ横浜で開催された「ジュラ紀大恐竜展」がそれです。この時点ではギガントスピノサウルスの記載論文は書かれておらず、ギガントスピノサウルスという名前は裸名(nomen nudum 正式な記載がなされる前の仮の名前で、学名としては認められない)でした。初めて聞いた時にはスゲェでかいスピノサウルスの仲間なのかと勘違いしたもので、色々なサイトでもスピノサウルスと勘違いする、とか紛らわしい等の書き込みが見られたものです。

「ジュラ紀大恐竜展」で展示されたギガントスピノサウルスの復元骨格。
2006年にアメリカのイラストレーターでアマチュアの古生物研究者であるトレーシー・フォード氏によって肩のトゲの付き方が上下逆であるという短報が出され、同年にはロンドン自然史博物館のスザンナ・メイドメント博士と中国科学古脊推動物古人類研究所の魏光飚博士による中国の剣竜類のレビューで独自性のある属である事が示されました。実際のところ、2005年に追加標本が発見された折に自貢恐竜博物館の彭光照研究員によって再記載がなされていたそうです。彭光照研究員によれば、ギガントスピノサウルスはステゴサウルス科ではなく、フアヤンゴサウルス科ではないかとのことです。
※2018年にギガントスピノサウルスの再記載が行われたそうです。それによると、ギガントスピノサウルスはフアヤンゴサウルスよりも派生的であり、基盤的なステゴサウルス科という結果になったそうです。
グレゴリー・ポール博士によると、ギガントスピノサウルスは全長約4.2m、体重はおよそ700kgと見積もられており、中型の剣竜類と言えます。またポール博士の骨格図では、復元骨格の腰にあるトゲが尻尾の方に付いており3対6本のトゲを尾部に持っていますが、剣板が全て生前の位置にあったのかどうかは分かりません。トゲが復元骨格の通りであれば、背中に15対の剣板を持っていました。ステゴサウルスやトゥオジアンゴサウルスに比べて小さくあまり体温調節には向かない様に見えます。また、左肩のトゲの基部に20cm四方のウロコの痕が残っている、鎧竜の様な装甲板が4つ発見されている等、外観に関する情報が残っていました。恐らく、羽毛の様な繊維構造は持っておらず、ウロコと皮骨による装甲で覆われていたと推測されます。頭骨は小さく(とは言え、下顎しか見つかっていませんが)、歯は木の葉型をしており、歯の縁には5個の小歯(ギザギザ)がありました。角竜やカモノハシ竜の様に歯が発達しておらず、食べた植物を咀嚼して、すり潰す事は出来なかったと考えられる為、シダ類などの柔らかい葉っぱを食べてはほとんど噛まずに飲み込み、タルの様な胴体に収められた長い腸で発酵させて消化していたと考えられます。主な天敵はアロサウルス類のヤンチュアノサウルスだったと思われます。

2008年の「恐竜大陸」で展示された骨格。2005年のと同じです。ステゴサウルスに比べて非常に胴体が広い様子が分かります。
参考文献:「ジュラ紀大恐竜展」図録、「恐竜大陸」図録、
「THE PRINCETON FIELD GUIDE TO DINOSAURS」Gregory S. Paul Princeton University Press
参考サイト:Wikipedia「Gigantspinosaurus」英語版
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