エドモントサウルス・アンネクテンスの成り立ちについて。
エドモントサウルス・アンネクテンスの全身骨格
エドモントサウルス・アンネクテンスのミイラ化石1891年、ジョン・ベル・ハッチャー博士によりワイオミング州コンバース群のランス累層から2体のほぼ完全な鳥脚類の化石が発見され、1892年にチャールズ・マーシュ博士によりクラオサウルス・アンネクテンス(属名は「壊れたトカゲ」、種小名は「結合」の意味)として記載された。
⇒1902年にオリバー・ペリー・ヘイ博士により、ジョセフ・ライディ博士が命名したテスペシウス・オクシデンタリスと同じ恐竜と考えられると発表される
⇒同1902年にハッチャー博士はトラコドン・アンネクテンスとした。
⇒1904年にリチャード・スワン・ラル博士はハドロサウルス・アンネクテンスとした。
⇒1925年にチャールズ・モートラム・スターンバーグ氏がテスペシウス・アンネクテンスとした。
⇒1942年にリチャード・スワン・ラル博士とネルダ・E・ライト博士により、アナトサウルス・アンネクテンスとされた。つまり、E.D.コープ博士が命名したディクロニウス・ミラビリスと同じものという事。
⇒1970年代になるとエドモントサウルスとアナトサウルスは属を分ける程の差はないとされ、マイケル・キース・ブレット=サーマン博士によりエドモントサウルス・アンネクテンスとされた←今ココ
エドモントサウルス・アンネクテンスの頭骨エドモントサウルス・アンネクテンスとエドモントサウルス・レガリスの相違点としては、E.アンネクテンスの方がE.レガリスよりも新しい時代に生息していた事、E.レガリスよりも頭部が上下に低く前後に長い等があるそうです。
参考文献:「恐竜学最前線11、12」学研
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